紫波サイダー物語 7

僕達の目指すサイダーの味を見出そうと、世界中のサイダーを取寄せ、味比べをした。ベアレン醸造所のイングリッシュサイダーはその1つで、僕達が気に入ったサイダーに対抗できるものだった。僕達が目指すサイダーは、もっとアメリカ風ではあるが、ベアレンのサイダーは大好きだ。だから、サイダーが何か想像できない、と誰かに言われると、ベアレンのサイダーを挙げる。  今年のオガール祭りで、木村剛氏にお会いすることができた。ベアレン醸造所を成功に導いた牽引役の1人だ。僕達の事業のことを話すと、彼は今シーズン最初の仕込みの日に招いてくれた。醸造部の方達が工場を案内し、サイダーの作り方を見せてくれた。その後、木村さんがインタビューに応じてくれた。 先ほど、紫波のりんご箱をたくさん見た。どのぐらいのりんごを紫波から買っているのか。 1回目の仕込みでは10トンのりんごを使う予定で、今日届いた4トンは紫波の東長岡のもの。だから、40%か。 なぜサイダーを作り始めたのか? 麦芽やホップなどのビールの材料は輸入品を使っているが、地元のものを使って何かを作りたかった。イギリスを訪れた時、パブで飲んだサイダーが美味しかった。日本にはシードルはあるが、値段が高めで、ワインのように飲まれている。イギリスでは、サイダーはビールのように飲まれている。だから、地元のりんごでサイダーを作ろうと思った。 サイダーは総生産量のうちどのぐらいを占める? 3%ぐらい。ビール作りで忙しいが、サイダーは販売すると好評ですぐ売れてしまうので、もう少し余裕ができたら、生産量を増やしたい。 サイダー作りの質問をいくつか。僕達は工業技術センターで研修を受ける予定であるが、何かアドバイスは? 県で果実酒の技術指導を推進しているので、ぜひ利用すると良いと思う。後は、安くてきちっとした設備を選ぶこと。 最初は委託醸造にするなど、段階的に進めて行くのはどうだろう? 良いと思う。大事なのは、サイダーを売ること。正直なところ、サイダーは作れてしまう。売り先を見つける方が大変なこと。だから、最初は製造をどこかに委託し、販売に集中するは良いアイディアだ。最初の年は、みな興味を持ってくれるので、売るのは簡単かもしれない。でも、継続するのが大変。自分達は、経営的な軌道に乗るまでに3年ぐらいかかった。 最初のうちは、やり方を間違えて失敗作ができてしまうことが心配だ。 失敗することはあまり心配しなくてもいい。自分の目指す味があり、それに向けて努力して行くことが大切。そういう目標がない人が意外と多い。特に、特産品開発だと、地域の名産を使って加工品を作ることが目的になり、美味しいかどうかは二の次になってしまう。最初のうちは目指す味にならないかもしれないが、それに向けて努力して行くことが大事だ。  また、田舎の良いところは、人が優しいこと。こういう味を目指したが失敗してしまった、ということに理解を示してくれる。美味しくないサイダーでも、お酒になっていれば、気にしないで飲んでくれるだろう。(笑) 会社を始めた頃についての質問。出資を募ったり、補助金を使ったりはした? しなかった。銀行からの融資のみ。日本では15年前、広く出資を募る仕組みはなかった。補助金も使わなかった。必要な時には無いなど、タイミングの関係で使いづらい。でも、事業の立上げ時は融資の金利は高めになるので、融資の金利が低くなる補助金などは使った方がいいだろう。 サイダリーを始めるにあたり、二つの仕事をするつもりでいるが、可能だろうか? 自分は、醸造所の建設に2年かかったので、その間待たなければならなかった。前の仕事はすでに辞めていて収入が無かったので、夜は飲食店で働き、昼間は工場の建設に行った。最近は、仕事を複数持つのは普通になってきているし、複数あることでリスクが分散されて良いと思う。  今の社員数になるまでにどのぐらいかかった?  最初の3年間は5人でやっていた。それから少しずつ売上げが増え、生産量を増やさなければならなくなり、毎年2人ぐらいずつ増やしたと思う。一度にたくさん増やした訳ではない。忙しくなり、どうしてもこなせない、というので増やして行った。 初めのうちはつらかった? 大変だったが、そういう忙しい時期を経験する必要はあると思う。   僕は、ベアレン醸造所の人々の優しさに感銘を受けた。工場2階の見学ルームは、僕にコロラド州のマイクロブルワリーのレストランを思い起こさせた。そこで木村さんは僕達の質問全てに答えてくれたが、つまりは、僕達の事業は紫波にとって望ましいが、まずは販売に力を入れるべきだと言っているように感じた。彼は、僕達が僕達自身の辛い時期に踏み込んで行くにあたり、いつでも連絡していいとまで言ってくれた。  みなさんがサイダーに興味があるならば、ベアレン醸造所のイングリッシュサイダーをお勧めする。彼らはアップルラガーも作っている。僕達が目指すサイダーはその2つの中間のようなものだが、もしサイダーに味をしめたなら、僕がいつかは、と夢見る「岩手サイダーブーム」に乗って、素晴らしい地元企業を応援してほしい。

紫波サイダー物語 6

I 「サイダーを作りたい」などという目標で物事を始めると、自分のいる位置と目指す位置のギャップに直面する。友人や隣人、そして地域のためにサイダーを作りたいと思う、その地域の助けを得ながら、情報と経験談の橋を渡れば、そのギャップは越えられるものだと見え始めてきた。  それでも、僕はお詫びから始めたい。今月の記事のために僕達は、世界に名立たる人物2人に経験談や見識を聞いたのだが、以下ではほんの一端しか紹介していない。僕達の起業の過程を物語のような流れで紹介したいので、テーマに合わせてインタビューを分割することにしたからだ。つまり、これらインタビューの一部は後の記事に出て来ることもあるが、出て来ない部分も、僕達を助けてくれるその他多くの人々からの助言と同様に、これから事業を築いていく上でのレンガとモルタルになっていく。 II 紫波町図書館の主任司書、手塚美希さんにインタビューをした。  紫波町図書館に行ったことがあれば、彼女のことをご存知だろう。背が高く、優しくて知識が豊富な彼女は、落ち着いた優雅さで本棚の間を滑り抜ける。しかし、図書館を建てるために紫波に来る前、生命に関わる病気を克服してきたことは、あまり知られていないかもしれない。「紫波サイダー物語3」で八重嶋さんにインタビューした時、手塚さんに相談するように勧められたので、紫波町図書館がどのように起業家を支援できるのかについて、彼女にインタビューした。答え:ギャップを越えるのに必要な情報と起業家を結び付けること。   秋田にいた時に、ビジネス支援をしたと聞いた。 浦安市立図書館は、日本でビジネス支援を最初に始めた図書館の1つで、秋田県立図書館もそうだった。偶然だが、両方の図書館に勤めた。  浦安では、弁理士や中小企業診断士などを呼んで起業志望の人のための相談会を開催していたが、秋田では、レファレンス(調査・相談)サービスでビジネスを応援していた。秋田には農家が多いが、その中に自分達の農作物を差別化したい、消費者への直接販売などで販路を拡大したい、または付加価値を付けたい、という農家がいた。その人達はブランド化を支援するコンサルタントに相談し、そのコンサルタントが図書館に来た。  その地域の土壌は、さくらんぼを美味しくする土壌だという歴史的な根拠が欲しい、と相談された。そのコンサルタントは、全国的に有名な山形のさくらんぼよりもここのさくらんぼの方が美味しいのだということを宣伝できる物語を作りたいと考えていた。 紫波町図書館でも同様のサービスはあるか? やってはいるが、上述のような相談はまだあまりない。例えば、ある農家の方は、祖父母がやっていたような味噌作りをするために、麦芽を使った水飴の作り方を知りたい、と尋ねてきた。農業関係のデータベースで調べて、何通りかの作り方を紹介した。  紫波町図書館は小さな図書館だが、どんな情報も探せるグローバルなネットワークがある。 僕達がサイダリーを始める上で、どんな支援をしてもらえるか? 私達は客観的な情報を提供するだけで、その情報をどのように使うかは、皆さん次第。必要な情報が載っている本や論文などを紹介できる。また、過去5年間で築いてきた人や団体のネットワークがあるので、皆さんのニーズに合う人とのマッチングもできる。相談がある時は、図書館に来て欲しい。私達も質問しながら、どのようにお手伝いできるかを探っていく。 相談するには予約が必要か? 予約は要らない。レファレンスに2交代制でいるので、いつ来てもらってもよい。医療に関する助言や診断、物の鑑定などはできないが、どこでそれらに関する情報を得られるかは紹介できる。私達は実際の作業はしない。親御さんが子供の宿題をやってほしい、と頼みに来ることがあるが、その時は、調べ方を教えるのでお子さんを連れて来てほしい、と答えている。 III 岡崎正信さんは紫波で有名な事業家だ。彼は多くの会社を経営しており、「アドボート・ジャパン」もその1つ。  東日本大震災では多くの漁業者が漁船を失った。震災後に設立されたこの会社は、被災地支援を希望する国際的なアパレルブランドといった企業と被災漁業者との仲介役をした。F1レースの車のように広告を漁船に掲示する形で、1艘当たり最高で約300万円の支援を集めた。  僕達がインタビューをした時は、一定の目標を達成したとして、この会社を解散するところだった。この会社での経験及びその他の経験を基に、岡崎さんは僕達に様々な助言をくれた。それらは、良い商品を作ること、そして商品を売るために物語を語れること、だ。 成功している事業家として、僕達がサイダリーを始めるにあたってのアドバイスを。 事業を始める上で大事なことは2つ。1つは、消費者が欲しいと思う良いものを作ること。2つ目はもっと大事で、どうやってそれを売るか。製造と営業のバランスをうまく取らなくてはならない。  しかし、売り方には気を付けなければならない。紫波町産りんごを強調する代わりに、サイダーに対する「パッション」を強調した方が良い。 紫波の人達のために、紫波のりんごでサイダーを作り、紫波の人達に買ってもらいたい。 それは良い考えだ。盛岡のベアレン醸造所がうまく行っているのは、岩手に特化したから。銀河高原ビールがちょっとダメになったのは、県外の人に売り始めたから。北海道の花畑牧場という会社は、生キャラメルという商品で新しい市場を作り出し、大ヒットさせた。そこまでは良かったが、その後、全国のコンビニでも売り出し、それで売れなくなった。何が言いたいかというと、紫波には半径30km圏内に60万人という北東北最大の人口があるので、新しい市場を作りやすい、ということ。だから、まずは美味しいサイダーを作ること。  味はとても大事。そしてかっこ良いと思わせる売り方。そうすれば売れると思う。ビールと戦うよりも、新しい飲み物だと言って新しい市場を作る方が良い。 僕達はワインのようなシードルではなく、ビールスタイルのサイダーを作る予定だ。 ビールのようなサイダーであれば、アルコール度数は低くてフルーツ風味だろうから、良いと思う。それは新しい市場を作ることになる。既存の「シードル市場」に参入して競争するよりも、新しい「サイダー市場」を作って独り勝ちした方が良い。 「メイド・イン・紫波」では売れない? 「紫波町産」を謳うのは大事かもしれないが、それだけでは売れない。  パッションとは、例えば、フランスのボルドー地方では、ぶどうの特級畑は全て手摘みでなければ「グラン・クリュ」と名乗れない。それを聞いただけで、それ相当の金額を払う価値がある、と納得できる。  パッションという言葉は適切な言葉ではないかもしれないが、良いサイダーを作る上で、良いりんごを育てるために良い土を作る、というところから考えた方がいいかもしれない。良いりんごを育てるために、土作りから始めるこだわり。サイダーのために土作りから始めるのが良いと思う。  ボルドー地方では、ワイナリーはぶどうの搾りかすを酒税の代わりとして、隣りのコニャック地方に納める。コニャック地方では、その搾りかすからコニャックを作るという、非常にうまい仕組みになっている。紫波では、前町長が始めた「循環型まちづくり」の中で、サイダーを作った後のりんごの搾りかすをどう活用するかを考えた方が良い。そうすれば、サイダーのストーリーができる。  しかし、それらは前面には出るものではない。逸話のままでいい。それが私が「パッション」と呼んでいるもの。こだわりを持つりんご農家、といった、それらのストーリーがサイダーを売る上で鍵になる。  でも一番大切なのは、美味しいサイダーを作ること。そして、語れるストーリーがあること。

紫波サイダー物語 5

起業は怖い。何かを創り出すことは苦しい。ビジョンを計画、実行へと移していくには、未知の世界に直面し、覚悟して段階を踏むということを繰り返す必要がある。究極的には、人の生活がかかってくる。その中で最初の一歩を踏み出すには、恐れを克服しなければならない。  僕は紫波に存在する応援体制に勇気付けられている。誰も一人で計画を実行できないことは分かっていた。しかし、家族や友人、地域、そして町の応援を頼りにできる、ということも分かってきた。  漠然としたことから書き始めたが、実はある具体的なことがあり、以下のことを書こうと触発された。紫波町役場の農林課の人達が、僕達がサイダーを作りたいということを聞き、何かできることはないかと連絡してきてくれたのだ。僕達は嬉しくなり、インタビューを申し込んだ。   [読者の皆さんに同様の支援を得る方法を知ってほしいため、僕達が最初にお願いしたことは、農林課がどんな所かについての説明だった。] 農林業に取り組む人達が生き生きと働き、暮らしていける環境を作ることを目指している。その目標を達成するために、幅広い事業をしている。 [りんご農家の状況について尋ねた。] 農業に従事している人の高齢化は進んでおり、現在の平均年齢は65歳ぐらい。半数以上の農家が65歳以上ということ。りんご農家だけを見ても状況は同じだが、後継者がいないという問題は、例えば、コメ農家に比べるともっと深刻だ。 [りんご農家の役に立つことを目指し、キズりんごを買うという目標が僕達にあるが、実際にはそんなに数は多くないと聞いた。それについての意見を聞いた。] 数は天候に左右される。今では、JAもそんなに傷んでいなければキズりんごを買い取っている。産直でも「キズあり」として値段を下げて売ることができる。だから、キズりんごが残って困ることはそんなにないかもしれない。  でも、キズりんごは腐りやすいので、収穫後直ぐにまとまった量を買い取れば、農家は助かるだろう。  大規模なりんご農家にはたくさんあると思う。ある程度の値段で、まとまった量を引き取ることはできると思う。  大事に育てたりんごが売れ残らないとなれば、農家も嬉しいだろう。 [構造改革特区における特例措置について尋ねた。もし町が特区の認定を受ければ、果実酒の酒造免許にかかる年間最低数量基準6キロリットルではなく、2キロリットルを製造するだけでよいというもの。] 2キロリットルでは採算が取れず、6キロリットルは製造しないと利益が出ないと聞いた。花巻市でワイナリーを始めた人は、廃業したワイナリーから設備を購入し、初期投資を抑えた。製造も最初は特区の特例措置の2キロリットルから始めて、徐々に製造量を増やしていったが、2キロリットルでは到底採算が合わず、初期投資分も賄えない。そういう話だ。だから、利益を出すには、6キロリットルを製造しないといけないようだ。 [応援してくれる知識豊富な役場の人達に相談する利点の一つは、尋ねるべきとすら知らなかったことを教えてくれること。例えば、彼らは様々な補助金について教えてくれた。] 町では、技術習得や勉強会のための補助金がある。これは講師を呼んだり、どこかに勉強しに行ったりするためのもの。去年も一昨年も予算を取っていたが、誰からも申請がなかった。旅費や宿泊費にも使える。実際に商品を開発したといった成果を求めるものではない。まずは勉強してみて、本当にできるかどうかを見極める、と一歩踏み出すことを応援する趣旨だ。  設備の購入や新商品の開発に必要な原材料購入のための補助金はあるが、今年度はもう締め切られた。県が予算をたて始める秋頃までに、どんな設備が必要かを教えてくれれば支援できるかもしれない。申請には、見積書や事業計画、5年後に利益がで始める、といったものになるだろうが、そういった書類を用意しなければならない。何をしたいかを教えてくれれば、こちらでどういった支援ができるかを調べてみる。  しかし、皆さんは農家ではないので、もしかしたら商工観光課管轄の補助金の方が色々とあるかもしれないし、今年度でもまだ間に合うものがあるかもしれない。県に問い合わせれば、これでもかという程の情報をくれるだろう。 [彼らは上記の様々なことを教えてくれるだけでなく、こちらがつられてしまうほどに熱意を持って応援してくれた。] 紫波のりんごはよそのものよりも美味しい。土壌が石灰質で果物を育てるのに理想的だ。そのため、紫波の果物を使ったものは何でも美味しくなる。東京で販路を開拓するのは本当に難しいが、銀河プラザや姉妹都市になった日野市で宣伝することは可能だと思う。皆さんのサイダーが東京で人気になれば、市場開拓につながる。  いずれは皆さんの起業時の経験を他の人達に紹介するのも良いだろう。「自分にもできるかも」と思い、続く人が出てくるかもしれない。   僕達がこの物語を書いているのはそういう想いがあるからだ。ビジョンと実行の間にある手順について、そして多くの人の支えによってどのように障害を乗り越えるのかについてを紹介したい。起業を恐れなくてもよい、と言いたい訳ではない。最終的には、人の生活がかかっているから。しかし、飛び出す前によく見てみると、恐らく向こう側には誰かが、受け止めようと待ってくれているものだ。  

紫波サイダー物語 4

「サイダーを作りたい」は、計 画を立てる上で曖昧すぎる表 現である。これが前回のインタ ビューで八重嶋さんから学ん だことだ。様々な人々に助けて もらうため、そして自分達の考 えを明確にするため、このサイ ダー事業を視覚化するべきだ と考えた。このことから、自分達 の考えを可能な限り明確にす るために、この図を作成した。 ここで、2点前置きしておきた い。まず、この図中の要素のいく つかは実現可能ではないかも しれないが、僕達がやりたいこ とを示すことで、知識を持った 人々からの意見を聞き、学べる ものと期待している。次に、図 中に出てくる場所や店にはまだ 連絡を取っていない。これは完 全なたたき台であり、ここから 話を進めるために掲載しただ けである。 僕達のこの計画について、ア ドバイスや感想を聞かせてほ しい。メールアドレス:info @  shiwacidery.com

紫波サイダー物語 3

I オガールプロジェクトには、謳われることのない英雄がいる。  それは八重嶋さんという役場職員だ。オガール関連で彼の名前を聞くことはあまりないが、彼がいなければ、情報交流館は音楽や遊び心のあまりない、今とは異なる場所になっていただろう。  さらに、役場が何か新しいものを一から作り上げる時に声をかける人物でもある。それが本当かどうか定かではないが、僕にはそのように思える。彼は交流館と図書館を設計するチームを率い、完成した後は、いわて国体の担当課を率いた。  彼のこれまでの経験を踏まえ、僕達のサイダーを作る計画について彼に話したくて、インタビューを申し込んだ。 もし役場からサイダーを作るように言われたらどうするか? 誰かに相談するだろう。起業やりんご栽培の経験がないので、りんごに詳しい、花巻でりんご農家をやっている友人に頼ると思う。  どうやってサイダーを売るかを考える。ジェフさん達はサイダーを売るよりも、紫波の人達を幸せにしたいという方に重きを置いているのかもしれないが、売れたらさらに良いよね。だから、どうやって自分のサイダーを目立たせるかを、味やパッケージ、ラベルのデザインの観点から考えるだろう。デザインにはこだわりたい。  面白い名前を考えるのも大切だと思う。商標登録したら注目を集めるかもしれない。  また、図書館のビジネス支援サービスを利用すると思う。主任司書の手塚さんは秋田にいた頃、デザイナーと企業を結び付けるといったビジネス支援の経験がある。図書館では、醸造や補助金などの情報探しを喜んで手伝ってくれると思う。そういった案件を常に探しているだろうし、案件があれば図書館の役にも立つ。 新しいことを始めた経験を基に、僕達に何かアドバイスはあるか? 自分は目指す姿を視覚化しないとイメージができない。交流館整備を担当していた時にいくつかイメージ図を作成し、説明資料に使った。それらは実際にできたものとそんなに異なってはいない。  サイクルパークのイメージ図も作成した。図面を見ていても、どんなものになるのかが掴めなかったから。  もし視覚化されたものがあれば、自分が何をやろうとしているかを他の人達に理解してもらうのに役立つかもしれない。 八重嶋さんと話したかったもう一つの理由は、僕達のこの、失敗するなり成功するなりの物語を、起業を目指す人々へのアドバイスにもなるようにしたいのだが、役場はそういった人達を支援したいという事実が知られていないのではないかと考えた。八重嶋さんはこの春、商工観光課に異動されたので、どういった支援ができるかを教えて欲しい。 サイダーの作り方については全く分からないが、販路開拓や、人々がりんごを買いに来るような場所での試験販売的なことを手配する、などで支援できるかと思う。  盛岡にある「よろず支援拠点」という起業支援の団体に紹介したり、補助金や起業家向けの融資を探して紹介したりできる。また、観光交流協会などとも連携して、サイダーの宣伝の支援もできるかもしれない。  紫波には農産物が豊富にあるが、これだという目玉になる土産物がない。だから、サイダーにはその可能性があるかもしれない。 II 岩手県も起業家を支援してくれる。  八重嶋さんの話に出てきた「よろず支援拠点」は、岩手県の先端技術センターに入居している県の関連団体「いわて産業振興センター」内にある。これらの情報を全部覚えられなくても大丈夫。頭のどこかに入っていれば、いずれ必要な時に再浮上するから。僕が言いたいのは、同じ敷地内に岩手県工業技術センターがあるということだ。これも県の関連団体で、ここの存在意義は、熱心な夢想家に対しサイダーの作り方を学ぶ手伝いをすること。と、まあ、そんなところだ。  以前書いた通り、僕達には本で得た知識のみで、サイダー作りの経験はないため、ここを訪ねることから始めようと思った。幸運なことに、工業技術センターが昨年やったことを教えるからおいでよ、と誘ってくれた。言い換えると、毎年開催されている成果発表会があり、施設内の見学まであった。そこで、晴れた6月の金曜日の午後に立ち寄ってみた。  約40人が集まる中で行われた発表によれば、近年ワインの消費量は増えており、ワイナリーの数も増えているとのことだった。  また、いつからでも参加できる醸造の研修制度があるとのこと。現在、10人ほどが学んでいて、皆シードル作りをしているが、誰もシードルの代わりにサイダーとは呼ばない。  それは冗談で、彼らに会う機会は無かったが、この訪問の間、誰かが「シードル」と言う度に「サイダー」とボソボソ言った。  ここで会った人々は親切で、有益な情報をくれたが、彼らの反応を一言で表すとすれば、それは「デジャヴ」だと思う。盛岡駅へ行こうと大通りを歩いている時に、同じような男が次から次と話しかけて来るようなものだったろう。  いずれにせよ、僕達はやる気が湧いた。そんなに多くの人がサイダーを作ろうとしているのなら、流行しているのだ。紫波にはたくさんのりんごがあるので、僕達もその流れに乗れる可能性がある。もっと重要なのは、町やああいった団体の支援を受けて、実現できるチャンスがあるということだ。

紫波サイダー物語 2

I 長い間抱えていたアイディアの起源を思い起こすのは難しい。  ずっと前、田舎では何か欲しい物があれば、自分で作るか育てるかだ、と誰かに言われた。この考え方は、僕の紫波での生活に大きな影響を及ぼしてきた。アメリカで飲んでいたサイダーが飲みたいと思った時、紫波でサイダーを作ろう、と考えたのは自然の流れだった。その後、アメリカでサイダーが人気だと聞いた時、この思いは更に強まった。  僕のもう一つの発想の源は、町の政策「循環型まちづくり」だ。これは、紫波の自然、人、経済の資源を町内で循環させるというもので、つまり、自分達の生活を良くするには、今あるものを有効に活用するのが最善だという考えだ。  サイダー作りは、循環型まちづくりの一環だと僕は考えた。町内で育ったりんごをサイダーにし、町内で消費する。りんごを育てた農家がサイダーを楽しむなんて素晴らしいことではないか?  これが本当に可能かどうかを知るために、僕はりんご業界について更に学ばなければならなかった。 II その目的のため、りんご農家である友人にインタビューをした。僕はこの10年で、彼は頭が切れ独創的に物事を考える人だと分かった。あまりにも頭の回転が速いため、周りの僕達はついていくことが難しい人物だ。僕は彼から多くのことを学んだ。出会って最初に教わったこと:白鳥の好物はレンコン。  この記事のために彼を「りんご博士」と呼びたかった。「りんご」は彼が大きなりんご畑を所有するからで、「博士」は彼が何でも知っていることから来る。しかし、彼はインタビューで話したことは個人の見解で専門家ではない、と言い、代わりに「りんごアウトロー」と呼んでほしいと言った。  以下が、彼に尋ねた質問の一部だ。 紫波でサイダーを作るというアイディアをどう思うか? 紫波のりんごで紫波の人が飲むサイダーを作るのは、良いアイディアだと思う。紫波はりんご生産量は多いが、りんごを作るだけという農家は多い。そんな農家のりんごを使った製品を喜ぶのではないか。 紫波の人はサイダーを買うだろうか? ベアレンのようなサイダーを目指すのであれば買うと思うが、価格にもよる。紫波の人の定義にもよる。若い人達はサイダーを飲むだろうが、ここで育った人はビールよりも日本酒を好む場合もある。自分も新しい味に慣れるのには時間がかかるかもしれない。サイダーを飲むという文化が定着すれば、みんな飲むと思う。ただ、最初は苦労するかもしれない。  シードルの方が日本人に馴染みはあるが、甘い飲み物という印象。だから、最初はそのイメージを払拭するのに苦労するだろう。「ドライ」という言葉を商品名に入れれば、辛口であることを伝えやすいかもしれない。  でも、この辺りは新しいことを受け入れるようになったので、サイダーも受け入れられるかもしれない。りんご農家が喜ぶサイダーを作るというのは良いと思う。 りんごは買った方が良いか、それとも育てた方が良いか? 自分達でりんごを作るのは大変だろう。夏まではほぼ毎週、組合の人達と組んで農薬散布をしなければならない。  誰かにりんごの世話を頼んでもいいだろうが、農家を辞めようと思っている人の畑を借りた方がいいかもしれない。近所に、若い農家にとても安い値段で貸している元りんご農家がいる。でも、農薬散布はとても金がかかる。自分の一町歩の畑では、年に約60万円ほどかかる。  使われていないりんご畑を探すには、農業委員会に行くのが筋だが、現実的には口コミを頼りに探すとよいだろう。古館はそういった畑を見つけられる可能性が高い。  日本では、実を大きくするために、小さな実を1つ残して摘む間引きをする。大変な作業だ。1反歩、約100㎡あたりでそれなりの収量を得ようとする場合のコストを下げることが重要だと思う。だから、農家が少なくなって来ている今、1つの現実的な方法としては、大きな畑でも少人数でできるぐらいの作業量に改善すること。それは農業刷新につながる。例えば、りんごに多少傷が付いても良いから、収穫は機械を使って1人でやる、など。省力化がカギだ。 傷りんごを使うのはどうか? 傷りんごは思う以上に少ない。台風などが来れば別だが。ちょっとした傷みなら売ることはできるし。自分の1町歩の畑では、傷りんごは年に平均20箱程度。  傷りんごの値段は、1箱数百円程度でとても安い。自分が売ってあげてもよい。または、JAに聞いてみてもよいだろう。この時期であれば、JAでもまだ売り先を決めていないのではないか。 どのタイミングで農家に尋ねるのがよいか? 収穫後が良い。どのぐらいの大きさのりんごをいくら欲しい、と具体的に言っておく。農家のほとんどは生食用りんごを作っているので、サイダー用に小さくと頼んでも、どのぐらいの甘さになるのかが分からないかもしれない。でも、この辺りの気温差であれば、糖度について心配する必要はほとんど無いだろう。 りんごアウトローと話した後、待ち受ける課題がずっと明確になった。農家は紫波で作られる製品にりんごが使われるのを喜ぶかもしれないが、僕達がサイダー文化を創り出さない限り、進んでその製品を消費しないかもしれない。しかし、彼が言ったように、紫波は新しいものを受け入れるようになった。何しろ、僕のことも受け入れてくれた。だから、僕は楽観的にならずにはいられない。  

紫波サイダー物語 1

I サイダーを作りたい。  サイダーと言っても、甘い子供用の炭酸飲料ではない。英国や北米でサイダーと呼ばれるものだ。それは昔ながらの言葉で、昔ながらのアルコール飲料を意味する。  この時点でまだこのコラムを読んでいる皆さんは「シードルのこと?」と思ったかもしれない。そう、そのことだ。皆さんは「じゃあ、なんでシードルと言わないの?」と思っているだろう。反論しないで!僕はちょっとした伝統主義者で、それに、僕の言うサイダーとは全く違うものなのに、その言葉がどのように日本語の仲間入りをしたのか全く分からない。  サイダーの人気が衰えて、そのうち店から消え、徐々にサイダーという言葉はりんごジュースを連想させるようになったのではないか、と僕は考える。それがアメリカで起こったことだ。だから、アメリカのサイダー醸造者は時に「ハードサイダー」と呼び、子供向けではないことを明確にする。シードルは、日本においてハードサイダーと同義なのだろう。しかし、アメリカでのサイダーの大々的な復活によって事情は変わりつつある。僕は伝統を重んじる一方で変化も好むので、紫波でもシードルではなく、この言葉にこだわりたい。だから、僕が「サイダー」と言ったら、「りんごで作ったビール」を想像してほしい。お願いです。  そして…僕がサイダーを作りたい、と言ったら、それは自分のために作りたいという意味ではない。たくさんのサイダーを作りたい。紫波や岩手や日本の人々が楽しめるサイダーを。僕は紫波でサイダー醸造所、つまりサイダリーの事業を始めたいのだ。     さて、それには明らかな障害がある。ここで5つを列挙しよう: サイダーを作った経験が無く、作り方も分からない。実は、これはちょっとした誇張で、作り方は知っている。何冊か本は読んだ。何冊かと言うのは、2冊。 サイダリー事業の始め方が分からない。再び誇張ではあるが、そんなに大きな誇張ではない。 サイダリー事業を始める資金がない。悲しいことに、これは全く誇張ではない。  酒造免許が必要である。 りんご業界、特にりんごについての知識はほとんど無い。 僕は、これらの障害をどうやって克服したか、または克服できなかったかについてを、このコラムの題材にするつもりだ。真っ先に、りんごについて学んだ。 II まず、実際に働いてみることにした。青い作業服を身に付け、オーストラリアにある紫波の姉妹都市からもらった帽子を被り、カッコいいサングラスを掛けて、古館にあるりんご畑に向かった。  りんご農家の勝木さんに、勉強のために半日りんごの収穫を手伝わせてほしいとお願いした。彼は親切にも受け入れてくれたので、雲一つない爽やかな朝に彼のりんご畑へ行った。  畑の中に伸びる狭い道に降り立ち、僕は感動した。地面が柔らかなクローバーのカーペットのようだったから。周りでは鳥がさえずり、西を向くと、身が引き締まるように澄んだ空気の中にまず陣ヶ岡が見え、その向こうに薄青の東根山が見えた。町の中心部から数分の所なのに、自然に囲まれていることによるゆったりとした静けさを覚えた。  彼は僕に収穫の仕方を教え、作業場所に連れて行ってくれた。作業を始めてしばらくすると休憩しようと呼んでくれた。逆さにしたプラスチックのりんご箱に座り、僕は彼にインタビューした。  勝木さんは若く、単刀直入な人物だ。埼玉県出身で、紫波に来て5年になる。僕の質問に率直に答えてくれた。 どうしてりんご栽培を始めたのか? たまたま岩手に来たから。もし沖縄に行っていたら、パイナップルを栽培していたかもしれない。 摘花作業は大変? 2か月ぐらい続くので、どちらかと言うと飽きる。毎日やり続けなければならない。ここにある全部の木をみる。そうしないと、大きな1個のりんごの代わりに5個の小さなりんごになってしまう。 毎日働いている? 雨の日は働かない。疲れた時も休む。 一番忙しいのは収穫の時期? 収穫と摘花の時期、6~7月が一番忙しい。近所の年配の人に手伝ってもらっている。 紫波のりんご農家はどんな人達? 高齢の人が多い。 りんご農家の高齢化が進み、畑を維持できなくなっていると聞いた。 この畑もそうだ。所有者が高齢になって止めることにしたが、木は切りたくなかったようだ。この地区で一番若いのは自分で、次に若い人は50代。後継者は皆サラリーマンらしいが、父親が働けなくなった時に跡を継ぐつもりなのかどうかは分からない。とにかく、この辺りに若い農家はあまりいない。でも、紫波に新規就農で来て、トマトやブドウ等をやっている若い人は何人かいる。  鳥の鳴き声に囲まれ、木陰で金属製の踏み台に立ち、注意深くツルをつけたままりんごを収穫しようとしていると、朝にコンピューターの前で眠い目を擦っている仕事よりもずっと良いものに思え、果樹園を諦めたがらない農家に対する共感で胸がいっぱいになった。ひと朝限りのベテランりんご収穫者として、僕は宣言する。僕達が大切にすべき特別なものがここにある、と。