紫波サイダー物語 5

起業は怖い。何かを創り出すことは苦しい。ビジョンを計画、実行へと移していくには、未知の世界に直面し、覚悟して段階を踏むということを繰り返す必要がある。究極的には、人の生活がかかってくる。その中で最初の一歩を踏み出すには、恐れを克服しなければならない。

 僕は紫波に存在する応援体制に勇気付けられている。誰も一人で計画を実行できないことは分かっていた。しかし、家族や友人、地域、そして町の応援を頼りにできる、ということも分かってきた。

 漠然としたことから書き始めたが、実はある具体的なことがあり、以下のことを書こうと触発された。紫波町役場の農林課の人達が、僕達がサイダーを作りたいということを聞き、何かできることはないかと連絡してきてくれたのだ。僕達は嬉しくなり、インタビューを申し込んだ。

 

[読者の皆さんに同様の支援を得る方法を知ってほしいため、僕達が最初にお願いしたことは、農林課がどんな所かについての説明だった。]

農林業に取り組む人達が生き生きと働き、暮らしていける環境を作ることを目指している。その目標を達成するために、幅広い事業をしている。

[りんご農家の状況について尋ねた。]

農業に従事している人の高齢化は進んでおり、現在の平均年齢は65歳ぐらい。半数以上の農家が65歳以上ということ。りんご農家だけを見ても状況は同じだが、後継者がいないという問題は、例えば、コメ農家に比べるともっと深刻だ。

[りんご農家の役に立つことを目指し、キズりんごを買うという目標が僕達にあるが、実際にはそんなに数は多くないと聞いた。それについての意見を聞いた。]

数は天候に左右される。今では、JAもそんなに傷んでいなければキズりんごを買い取っている。産直でも「キズあり」として値段を下げて売ることができる。だから、キズりんごが残って困ることはそんなにないかもしれない。

 でも、キズりんごは腐りやすいので、収穫後直ぐにまとまった量を買い取れば、農家は助かるだろう。

 大規模なりんご農家にはたくさんあると思う。ある程度の値段で、まとまった量を引き取ることはできると思う。

 大事に育てたりんごが売れ残らないとなれば、農家も嬉しいだろう。

[構造改革特区における特例措置について尋ねた。もし町が特区の認定を受ければ、果実酒の酒造免許にかかる年間最低数量基準6キロリットルではなく、2キロリットルを製造するだけでよいというもの。]

2キロリットルでは採算が取れず、6キロリットルは製造しないと利益が出ないと聞いた。花巻市でワイナリーを始めた人は、廃業したワイナリーから設備を購入し、初期投資を抑えた。製造も最初は特区の特例措置の2キロリットルから始めて、徐々に製造量を増やしていったが、2キロリットルでは到底採算が合わず、初期投資分も賄えない。そういう話だ。だから、利益を出すには、6キロリットルを製造しないといけないようだ。

[応援してくれる知識豊富な役場の人達に相談する利点の一つは、尋ねるべきとすら知らなかったことを教えてくれること。例えば、彼らは様々な補助金について教えてくれた。]

町では、技術習得や勉強会のための補助金がある。これは講師を呼んだり、どこかに勉強しに行ったりするためのもの。去年も一昨年も予算を取っていたが、誰からも申請がなかった。旅費や宿泊費にも使える。実際に商品を開発したといった成果を求めるものではない。まずは勉強してみて、本当にできるかどうかを見極める、と一歩踏み出すことを応援する趣旨だ。

 設備の購入や新商品の開発に必要な原材料購入のための補助金はあるが、今年度はもう締め切られた。県が予算をたて始める秋頃までに、どんな設備が必要かを教えてくれれば支援できるかもしれない。申請には、見積書や事業計画、5年後に利益がで始める、といったものになるだろうが、そういった書類を用意しなければならない。何をしたいかを教えてくれれば、こちらでどういった支援ができるかを調べてみる。

 しかし、皆さんは農家ではないので、もしかしたら商工観光課管轄の補助金の方が色々とあるかもしれないし、今年度でもまだ間に合うものがあるかもしれない。県に問い合わせれば、これでもかという程の情報をくれるだろう。

[彼らは上記の様々なことを教えてくれるだけでなく、こちらがつられてしまうほどに熱意を持って応援してくれた。]

紫波のりんごはよそのものよりも美味しい。土壌が石灰質で果物を育てるのに理想的だ。そのため、紫波の果物を使ったものは何でも美味しくなる。東京で販路を開拓するのは本当に難しいが、銀河プラザや姉妹都市になった日野市で宣伝することは可能だと思う。皆さんのサイダーが東京で人気になれば、市場開拓につながる。

 いずれは皆さんの起業時の経験を他の人達に紹介するのも良いだろう。「自分にもできるかも」と思い、続く人が出てくるかもしれない。

 

僕達がこの物語を書いているのはそういう想いがあるからだ。ビジョンと実行の間にある手順について、そして多くの人の支えによってどのように障害を乗り越えるのかについてを紹介したい。起業を恐れなくてもよい、と言いたい訳ではない。最終的には、人の生活がかかっているから。しかし、飛び出す前によく見てみると、恐らく向こう側には誰かが、受け止めようと待ってくれているものだ。

 

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